株式会社 東芝を退職しました

投稿者: | 2021年12月31日

2009年から新卒&修士卒で約12年勤めていた株式会社 東芝を退職しました。
正確には2021年の9月末には退職していて、10月からは別の会社で働いております。

東芝では様々な方々にお世話になり、色々な経験を積むことができました。ありがとうございました。

やっていたこと

ソフトウェア技術センターという研究所の機関でソフトウェアにまつわる色々な研究、開発をずっとやっておりました。雑に括るならソフトウェア工学という分野全般です。あまり公開できる情報は多くはないのですが、ソフトウェアメトリクスの研究、社内のソフトウェア開発環境の整備や、深層学習を使ったバグ検出の研究などをやったりしておりました。

組織としてのサイトはこちらのリンクから確認できます。近年取り組んでいた活動が大体はまとまっていると思います。ここに載っていないものでも、事業部から委託を請けて色々な開発活動も行っている部門となります。

東芝の研究所について

12年前の自分は自分のことを「自分はソフトウェア関連の才能はある程度あるが、天才ではない。例えば、すごいアルゴリズムを発明したり、世界を変えるソフトウェアを作ったりはできない凡人」と評価していました。そんな自分でもソフトウェアの設計は考えるのが好きで向いてそうと考えて就職先を探していました。そんな自分でも東芝の研究所にあるソフトウェア技術センターなら世の中にちょっとは貢献できそうと思って就職しました。

ソフトウェア技術センターには色々な人たちがいて、自分から見てあー天才だなぁと感動するしかない人とかも中にはいました。そんな人たちとソフトウェアはかくあるべきといった議論ができたのはとても貴重な経験でした。もしそういった環境をお探しでしたら就職先の候補としては良いのではないでしょうか。

なんやかんやありまして事業の数は減ってしまいましたが、大規模なシステム、社会的に重要なシステムといったものに関する研究や開発といった経験もできます。その際、研究所は立場的に直接システム設計というわけではなく、例えばPoCやうまく動いていないシステムの調査、設計改善といった観点で入ることが多く、またその際も大きな裁量を与えられて提案させて貰えることが多かったと思います。いわれたままにシステムを作るのではなく自分で考えて色々やってみるという経験にもなります。

研究を行う環境としては、凄い環境というわけではないですが、世間で言われている人権的な計算機は十分に与えられていたと思います。すごい環境が欲しい場合は理由を説明できればゲットすることもできます。例えば、オンプレで動く中々高性能なサーバとかは普通に手に入れることができるかと思います。

また、労働条件も入社して数年で裁量労働制になって、これは本当に自分で好きな時に働くことが可能な運用がなされていました。もちろん普通の勤務時間の範囲でということになります。22時以降の深夜などに働くと深夜勤務になるのでやらないようにということになっていました。深夜勤務したことは結局12年の間に一度もありませんでした。また休日勤務も12年のうちに1,2回しかなかったです。
日本の平均給与と比較しても給与なども十分に高く、福利厚生も色々あってとてもホワイトな職場です。

という感じで、概ねソフトウェア界隈の研究や開発をやりたいという人にはかなりお勧めの職場でした。

なんで辞めたの?

色々沢山辞めたくなるようなことは過去にあったりしたのですが、今回はついに実際に退職という行動まで行ってしまいました。色々理由はあるのですが、直接大きな影響があったことを書いていこうかと思います。

キャリア

何だかんだで12年も勤務しているとキャリアについて考えることが増えてきました。何だかんだでそれなりに仕事をしていた自分は一定の評価をされていたようで、管理職に昇進とかそういうものが見えてくるくらいの立場にはなっていました。業務としても意思決定を行う場面が増えてきていました。つまりどうなったかというと、1週間の予定を見るとかなりの時間が会議などに費やされてしまっているような状態になっていました。何なら業務時間外(要は夕方以降)にも会議の予定が入ってきてしまいました。

自分は、そもそも研究とか自己研鑽みたいな活動は趣味でやっていて、たまたま会社でそれを共有しているという気持ちが強かったので、業務時間に会議が多くなってても、そこまで無理ということはなかったのですが、例えば工数計算をするとか、偉い人が参加する会議のために、その場凌ぎ資料を作るとか、いわゆる管理職が専門とする業務が自分に降りかかってくると一気にそれは破綻しました。つまり向いていなかったということがよくわかりました。学生の頃は雑誌で記事を書いたりするくらいには文書を書いたり、資料を作ったりするのは得意な部類だと思っていたのですが、どうやらそういった能力はこの手の資料作成には全く向いていなかったようです。

さらに、家族と過ごす時間、ゲームで遊ぶ時間といったプライベートを重要視して人生設計しています。なので、この辺りの時間などが減っていくのはとても辛いなと考えました。また、上にも書いたような趣味の研究とか自己研鑽といった計算機で遊ぶ時間というのも無くなってしまうと自分は生きていくモチベーションをかなり失うでしょう。

なお昇進を諦めてしまって開発者ポジションに留まるという選択肢もありました、しかしそうした場合ほとんど給料は上がっていかないことになります。悪くない給料、職場環境ではありますがあと30年近く概ね横ばいというのはちょっと悲しいかなという気持ちになりました。

東芝の経営上の判断

まぁ、これは説明不要と思いますが、自分の勤めている会社が後ろ指刺されるのはとても面倒です。有名企業だから報道もたくさんされます。当然のことですが両親にも心配されました。研究所には影響があまりないのでは?と思う方もいらっしゃるかと思いますが、同僚は別会社に異動になったり、関係していた業務が丸ごとなくなったり、賃金は下がったりと大きく影響がありました。

そして、これはとても重要なのですが、自分の研究・開発活動は「半径nメートル(nは0-9)の範囲にいる人に幸せを届ける。距離は精神的距離でもOK」という制約を課しています。例えば、ソフトウェア開発を行っている同僚を助ける研究、困っている友人のために何かシステムを構築するといった感じに自分が結果を直接観測可能な範囲でのみ研究をしたいと思っています。これは、ソフトウェアという見えづらいものを研究対象に選んだ自分のポリシーです。ソフトウェアに関係していないものなんてこの世にもはや存在していないから、実態として気が付いたら例えば、漁師になっていたり、農家になっていたりしてもソフトウェアの研究だと思ってやっていたりしそうだからです。話を戻すと東芝の事業が減った結果、この身近な人の幸福を実感できる、自分を納得させられる領域がかなり減ったというのは少なからず影響がありました。

まとめ

という感じで、色々あった結果東芝を辞めました。この記事に書いていないこととしては、大企業病なども遠因のひとつかもしれません。今後はとあるSIerで研究・開発支援業務に従事する予定です。ソフトウェアに関する行政的な立場で開発の改善活動がやはり好きなので変わっておりません。これからもソフトウェアの技法などに関してあーでもないこーでもないと考えることをやっていそうです。この辺りの話は直接会って呑んだりしてお話できる方とはやっていきたいですね。

 

 

株式会社 東芝を退職しました」への11件のフィードバック

  1. 元東芝まん弐号機

    お疲れさまでした。新天地でも頑張ってください。

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  2. とあるTプラ

    前職でのお仕事お疲れ様でした!
    私も2020年に10年目の節目で東芝子会社を退職。
    とあるSlerに転職しました。
    新天地でのご活躍お祈りしております。
    共に頑張りましょう!

    返信
  3. 元 日立の人

    私は今年6月に退職しました。最終職場は営業でした。人生をたのしみつつ、ほどほどに頑張りましょう。

    返信
  4. kwata

    ブルシットジョブが増えてきてモチベーションが下がるのはよくわかります。

    返信
  5. 今井泉男

    3年前に、三井系の技術屋を定年退職した者です。
    私も、技術屋として、専念出来たのは13〜15年くらいです。後は、ご指摘の通り現場から距離を少し置いたマネジメントや後進の育成になっていました。この風土は、どこでも大体似たようなものになるようですね。それからだんだんと子供たちが学齢期に入って来たり、マイホームを購入したりで、守るものが増えて来ると、いわゆる社畜的になってくるのも仕方がないものです。
    だけど、この方のやぅに 早めに気づいて、且つ勇気を持って野に降る若者を羨ましくも感じます。
    自分の人生を精一杯「頑張れ」と、エールを送ります!
     合掌

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  6. TRD80

    私はルネサンスを辞めてしばらくの間、中小企業へ。 その後、東芝へ入社しました。 中小企業は絶対に肌が合いませでした。 色々な業界の中途社員がいて、意見が全く合いませんでした。
    プロジェクトで会議を開いても10人いたら実行部隊は2人程度。その他は傍観者です。 何も発言する人はいませんでした。
    何かトラブルが起これば、なるべく携わらないようにするなど。 大手ではコンプライアンスがしっかりしており、同じレベルの社員ばかりです。 中小企業は無責任な人や何を考えてるのか分からない役員がいたりします。決めた方針が一週間後には変わるのが当たり前の役員がいたり、無知が故にむちゃくちゃなことが起きたり、責任の所在がないので、それが繰り返される状態でした。 正しいことを言っても役員の都合で否定され、結局は自分が正しいと言う振る舞いをする役員がいて、とても大変でした。他の 従業員はただ単にその役員に正しくても間違っても単に従う、そして単に怒られないことだけに徹するような状態でした。
    大手企業ではあり得ない状態が続き、正しいことをすれば非難されるようなことばかりでした。
    今の東芝はメディアで報道されることは執行部ベースの事ばかりです。 事業の内容そして今何をやろうとしているのかということまではよく調査されていません。 ですので東芝の中にいる社員の感覚と、報道されているような危機感というのはかなり乖離があります。 実のところ、リストラはもう完了し、次の成長戦略へ進んでいます。 ですので大手企業は必ず生き残り正常な状態で社員の環境を守り、福利厚生も充実し、同じレベルの社員同士となり、非常に物事の開発開発は円滑に進んでいくものと思っいます。 メディアはここまでは報道されていないのが現実です。 もちろん読者がいての話なので不幸的な話題を繰り返すことがその世界では当たり前なのかもしれません。大手企業は大きな壁に出会っても、必ず
    壊す力、乗り越える力を持っていると思います。 ここが中小企業と違うところです。
    私の人生はこんな感じでしたが、ソフト開発のお仕事は職場環境を含めて、また別かもしれません。是非とも成功をしてください。 頑張って後悔のない仕事をやって生きていきましょう。

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  7. 某コーポレート部門退職ネキ

    読ませていただきました。私も東芝の別部署の技術職を、この春で退職します。
    管理職が魅力的ではないこと、事業領域の狭まりによるモチベーションの低下、とても共感し頷きながら読ませていただきました。少し愚痴になってしまいますが、私の観測範囲では、この会社の管理職の人たちは部下をまとめて新しいことに取り組むより、上司の顔色ばかり気にして丹念に報告資料を作っているだけに見えます。
    技術者としてのキャリアをお互いもっと楽しんでいきましょう。お疲れ様でした!

    返信
  8. momo

    私は技能職として、さくらんぼの技術備忘録さんと同じ事業所に10年間、他の事業所に9年間、良い先輩に恵まれお世話になりましたが、退職しました。辞めた理由は、
    私の主観ですが、新しいことに挑戦できる環境があまりにも少なくモチベーションが上がらず、管理職の多くは、悪いことは全て部下に擦り付けて育てようとする気があまりにもない様に感じました。ご活躍を願っています。お疲れ様でした!

    返信

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